【モン・カイン出張】 失敗談1

2005.12.01 Thu

ある村で学校建設委員会と集会をしました。
メンバーは男性5人、女性4人。

この村に入ってとき
それまでの村とは違った印象を受けました。
道路は整然としているし
軍服(のようなもの)を着ている人はいるし
学校ではちゃんと授業をやっているし
支援している校舎の建設は9割方終わっているし
どこか「ちゃんとしている」感じでした。
建設中の校舎

さて、木陰の下に椅子を置いて
集会を始めました。
いつものように自己紹介をして
簡単な質問から始めていきます。

でも、あまり答えが返ってきません。
一人の女性は元気ですが
ほかの人たちはもの静かで大人しく、
あまり発言しません。
なんでだろう?
はじめはよくあることなので
そのうち慣れてくるだろうと思っていました。

それでも、なんとか本題である
「委員会の目標」について尋ね始めました。
これも、いつものように
「校舎の建設を無事に終わらせる」
という答えが返ってきたので
さらに質問をしました。

学校の生徒数は何人か?
村には学齢期の子どもが何人いるのか?
そういう話をしていくうちに
村には毎年20人ほど
学校へ行けない子どもがいることがわかりました。
一学期目には全員が入学するのですが
時間が経つにつれて
一人また一人と減っていくというのです。

さて、その場には
委員会とは関係のない人が一人いました。
この人は複数の村からなるVillage Tractの長だったのです。
いちおう行政の責任を持った役人(ほとんど無給)です。
村人には珍しく、ズボンをはいています。
態度はどこか威圧的(というわたしの印象)。
その人によると
「毎年、全員の子どもを学校へ入れているが
 いつも脱落者が出て、
 その数は正確には把握できていない」
そうです。

そんな発言もありましたが
委員会の人たちは
「村の子どもたち全員が小学校を卒業する」
という目標を設定しました。

目標を設定したあとは
行動計画をつくろうとしました。

でも、何かヘンです。
雰囲気がどうもギクシャクして
話がうまく先に進みません。

委員会の人たちは
PTAがあるから、そこがやるべきことで
自分たちはあくまでも学校の建設に責任があって
教育全体までは責任をとりたくないようです。
これまたわたしの印象です。

それでも質問を続けて
委員会として行動するようにそれとなく促してみましたが
ギクシャク感はずっと残り
最終的には
「PTAに任せる」
という結論で集会は終わりました。

PTAといっても
実質的にはまったく機能していなくて
そこに任せるということは
何もなされないのは明らかです。
それでも、それが委員会の結論なので
あまり無理強いはせずにお開きにしました。

と、ここまでが、
わたしの眼から見た集会の様子です。

この集会はわたしがいままでにやってきたなかでも
とくに後味の悪いものとなりました。
それは村の人たちにとっても同じことで
(というか、わたしの顔にそう書いてあったのでしょう)
委員会のメンバーも申し訳なさそうな顔をしていました。

昼食のあと別の集会をして
村を出ました。

タウンシップ事務所へ戻り
ふり返りのミーティングをスタッフと行いました。
そこで、わたしにとっては
ショッキングな指摘を受けました。

長くなったので
続きは明日書きます。

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  1. 2005/12/01(木) 23:58:45|
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会議で組織が変わる

2005.12.04 Sun

すごい会議 今週の本

大橋禅太郎 著
『すごい会議』
大和書房(2005年6月)

【今週の名言】
「目標を立てなければ起こらなかったことの
 実現可能性が最大化する」p.70

何だか英語をそのまま日本語にしたような表現ですが
組織やグループで目標を立てるメリットはまさにこれです!

著者のいうとおり
文章は「ラフ」ですが
とてもシンプルでわかりやすい。
だからこそ実用性も高い。
小難しいことをダラダラ並べられても
それが実行に移せなければ意味はありません。

そのラフでシンプルな方法論の裏には
コーチングやNLPの基本や理論が押さえてあります。
それをわかりやすく伝え
しかも、すぐに使えるカタチ
(「すごい会議の手順」)にしてあるところに
本書の「すごさ」があるように思いました。

手順がそのまま適応できることは少ないかもしれませんが
とにかく始めてみて、やってみて
軌道修正していけばいいことです。

この本では随所で共感しました。
まさに、わが意を得たり!でした。

「目標が面白いのは、それを自分自身で立てると、
 なんとなく「それをやってやろう!」
 という気になってしまうところだ」p.51

わたしがここ3ヶ月ほど考えて
現場の村でやってきたのは、このことでした。

目標がなければ、それを実現することはできない。
目標の立て方しだいで何が達成できるかが決まる。
目標を自身で立てることで、行動する気になる。
目標は、行動の起爆剤なのです。

ただ、村での目標の立て方そのものにも
いろいろな課題がありますし
その前後にも詰めの甘い部分があります。
とくに、目標を立てる前の組織の雰囲気づくり
目標を達成するためのコミットメントなど
本書から大きなヒントを得ました。
また、目標を立てたら必ず問題にぶつかりますので
そのときにどう克服していくかが
村人との「会議」でも大切になっていくでしょう。

次のスタッフ会議で試してみたいこと
村での集会でうまくいきそうなアイデアを多く得ました。
・紙に書いてから発表してもらう
 (無理なら、一人ひとりが自分で考えるようにする)
・問題を「どのようにすれば〜」に替える
・目標が達成されたときのインパクト
 (いいこと・意味合い)を考える
・コミットメント・リストをつくって自己宣言する
・各自が、自分が起こすインパクトを発表する

この本を読んだら
あとは「やるか・やらないか」だけです。

会議を変えるということは
話をする場を設けて
話をする方法を変えること。
いままではできなかった話をすること。
コミュニケーションを変えること。

タイトルは「会議」となっていますが
その本質は
仕事のやり方を変えることと理解しました。

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  1. 2005/12/04(日) 23:25:42|
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【モン・カイン出張】 失敗談2

2005.12.05 Mon

ちょっと間があきましたが
木曜日の「失敗談1」のつづきです。

タウンシップ事務所へ戻り
村での話の場にいたスタッフと
ふり返りのミーティングをおこないました。

わたしがいちばん問いたかったのは
「なぜ委員会の人たちのやる気が出なかったのか?」
ということでした。

それまでに訪問した3村では
いずれも話が盛り上がって
「やってやろう!」という気運が出ていたのに
なぜこの村ではそうならなかったのか。
ぜひスタッフの意見を聞いておきたかったのです。
質問を投げかけました。

スタッフから返ってきた答えは
?.村人の教育レベルが低いから考えられない
?.質問に慣れていないので、うまく答えられない

どっちも最低ですね。
何でも「教育レベルが低い」で片付けると
何も考えられなくなります。
考えることを放棄した「思考停止」状態です。
自分のことは棚に上げて
相手のせいにするだけ。
ほかの原因を探ろうということには絶対になりません。

それに「相手が答えられない」と思った瞬間に
いい答えを得ることはできなくなります。
質問をする人の態度が
答える人の答えを決めるといっても過言ではありません。
いわゆるピグマリオン効果と同じです。

一方で、わたしの仮説は二つありました。
?威圧的なリーダーのせいで自由に話ができなかった。
?スタッフが学校建設の真の目標を理解していなかった。

?は、ミャンマーではよくあることです。
誰か権力に絡む人間がその場にいれば
権力を否定するような発言をすることはできません。
下手をすれば牢獄へ送られます。
初等教育は原則的には
PTA、つまり行政の命を受けた組織の責任ですから
それを暗にでも否定して
村の組織が責任を持ってやります
とはなかなか言えません。

また?も確信がありました。
決め付けはよくありませんが
委員会を設立したときに
スタッフの話では校舎建設しか触れていなくて
もっと大きな話、つまり村の教育をどうするかということを
村の人たちと十分に話していなかったのでしょう。
そんなことは思いもよらなかった
といったほうがいいかもしれません。
これは委員会の人と話していればわかります。

こういう状況で
いきなり外から人がやって来て
(しかも本部の偉そうな人間が)
誘導的な質問をされても
「この委員会では村の教育を改善する責任を負います」
とはなかなかいえないでしょう。

心の中では「そんなこと聞いてないよ」
となるのは当然ですよね。

もちろん
どちらか一つがということではなくて
?と?の両方ともが原因でしょう。

ショックだったのは
もう一つの理由に自分の考えが及ばなかったことでした。

それはスタッフとのミーティングの翌日
エリアのマネジャーから聞いた話です。

村の人たちと話していたときに
わたしの顔が笑っていなかったそうです。
ふと、わたしも思い当たる節があったので
あっちゃー、という感じでした。

村の人たちは外国人には慣れていないので
(しかもわたしの顔は恐い?ので)
いつもは柔らかい雰囲気をつくろうと
表情や身振り手振りなどには気をつけていたのですが
胡散臭いリーダーの存在によって
自分の感情が影響されているのに
十分に配慮していなかったようです。

はじめてこの村を訪問して
リーダーと会ったときに
「どうもこいつは胡散臭いなあ」
という第一印象がありました。
そして実際に集会の中でも
その存在のおかげで話がうまく進まず
自分の気は立っていました。
それでわたしの顔がこわばっていたようなのです。

自分では、今回訪問した4つの村すべてで
同じような態度をとって
同じように話をしていたつもりでしたが
この村でわたしは「恐い人」 という印象を与えてしまったようです。

たったこれだけのことでも
話の方向を大きく左右します。
質問をしていたとしても
答える側が恐がっていたら
質問者の望む答えを探そうとするでしょう。
村の人たちがせっかく忙しい時間を割いて会ってくれたのに
台無しにしてしまいました。

参加した委員会の人たちは
さぞ窮屈で重苦しい思いをしたことでしょう。
悪いことをしてしまいました。

スタッフは、この胡散臭いリーダーは
本当はいい人で、村にも寄付をしてくれている
ともいっていましたが
それだけは信じることはできません。
彼に対する印象は間違っていなかったといまでも思っています。

委員会の人たちは明らかに郡長に対して遠慮して
自分たちで何とかしたいという思いを押し殺し
PTAの顔を立てていたことは明らかでした。

ただ、そんな一人に対する悪感情のおかげで
この場を壊してしまったことは大いに反省すべきことです。

この一件で学んだ教訓は
・第一印象で決め付けてしまうのを避ける
・自分の偏った感情に流されて雰囲気を壊さない
・思い込みはひとまずおいて、冷静に状況を判断する
というようなことでした。
まだまだ未熟です。

  1. 2005/12/05(月) 23:25:11|
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謎のおっさん?

2005.12.06 Tue

わたしの妻のブログ経由で面白い記事を発見!

「大人気の謎のおっさん」というタイトルで
ミャンマーを旅行していた人が
「おっさんフィギュア」について書いています。
(⇒記事はこちら

このおっさんの名前はボーミンガウン。
年齢は推定で200歳。

いまでも
あっちで見た、こっちで見たという噂話が絶えません。
瞑想・ヨガ(のようなもの)の達人で
他人の姿を借りてこの世に生き続け
ブッダの再来を待っています。

ボーミンガウンは
タバコを吸っている格好や
お茶を飲んでいる(酒ではありません)格好が
フィギュアになって売られています。

こういうフィギュアになっている人は何人もいて
ちゃんと名前がついています。
それぞれ実在した人物ということになっています。

ボーミンガウンは物乞いのような姿をして
人々の前に現れます。
鼻毛を伸ばして、アホ面をしているので
誰もボーミンガウンだとは気づきません。
でも、そんな姿でもこの人に親切にすると
ボーミンガウンは
「うん、うん、感心だ」といって
お金を出してくれたり、
願いを叶えてくれたりするそうです。

ボーミンガウンたちは
世俗的な願いを叶えるところが
仏様とは違うのかなと思いました。

たとえばミャンマーの人たちは
「歌手になって有名になりたい」とか
「お金持ちになりたい」とかいう願いをするそうです。

同僚の話によると
ミャンマー人の中でも
ちょっと胡散臭く感じていて
信じていない人もいるようです。

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  1. 2005/12/06(火) 23:56:58|
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不可思議さのみなもと

2005.12.07 Wed

どうやら、わたしまで
「謎のおっさん」の虜になってしまったようです。
恐るべし、おっさん。

ミャンマー(なかでも仏教徒の民族)の人たちの信仰について
同僚たちから話を聞くと
とても複雑で、
とてつもなく奥が深いことに気がつきます。

このあたりが
ミャンマーという国を
ふしぎで、不可解で、魅力的なものにしているのでしょう。
とくに短期で訪れる旅行者にとっては
この謎めいたところがたまらないでしょうね。

日本にもかつては
そんな「不可解なもの」が存在していたのでしょう。
でも、いまの世の中、
人知の及ばない世界というものはどんどん消えています。
少なくとも、現代人の頭からは一掃されつつあるように思います。

でも、考えてみれば
何かわたしたちの考えが及ばない世界があるという思いは
ある意味で幸せなことかもしれません。

それは、すがるものがあるということだけでなく
わたしたちの想像力をかき立てて
心を豊かにしてくれるようにも思います。

大きな力、存在の前では
人間というのはいかに小さくてちっぽけなものなのか
そんな謙虚な気持ちも生まれます。

これまであまり扱ってこなかった
「宗教・信仰」を新しいカテゴリーとして設定しました。
なかなか奥深いテーマですので
ネタは尽きることがなさそうです。
ミャンマーを理解する上でも
不可欠なような気がします。

まずは、おっさん(ボーミンガウン)の写真だけでも
仕入れたいなあ。

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  1. 2005/12/07(水) 23:30:36|
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