UNDPの勤務時間

2005.06.01 Wed

日本では遅くまで仕事をするのがあたりまえですが
ミャンマーでは時間がきたら帰るというのが常識のようです。

UNDPミャンマー事務所の勤務時間は
朝8時半から夕方4時半までです。
なかには夜10時とか11時とかまで残っている人もいますが
職員のほとんどは4時半になると帰ります。
これがまた波がサーッと引くような感じで帰るんですよ。
まあ、お役所みたいなもんですかね。

わたしの職場はUNDP事務所の敷地内にありますが
プロジェクト事務所ですので少し性格が違います。
スタッフも遅くまで働いています。
といっても、せいぜい7時半ぐらいまでですが。
そういうわたしも
7時か遅くても8時には帰宅します。

こちらで働き始めて驚いたのは
仕事に対する考え方。
仕事が終わっていなくても
時間がきたら帰る
そんな風潮がありますね。

これは国連特有のものなのか
ミャンマー特有のものなのか
わたしは国連機関で働くのが初めてなので
いまいちまだよくわかりません。

それにミャンマーの人は
おしゃべりとお茶(甘い紅茶)が大好き。
何かというとお茶を飲みに食堂やティーショップへ行きます。
で、気がつくとおしゃべりしてる。
これで「時間がない、時間がない」と連呼するので
どうなってんの?
と思ったりしますね。
いったい実働時間は何時間なんだあ?

ガツガツ働く必要がないので
いいといえば、まあ、いいのですが
ちゃんとやることはやろうよ!
なーんて思ってしまうことも多いですね。

*

  1. 2005/06/01(水) 21:01:13|
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あ然

2005.06.02 Thu

国連で働いていると
聞きなれない言葉(英語)をよく耳にします。

その一つがexpatriate。

初めて聞いたとき何だかさっぱりわかりませんでした。
「駐在の外国人」というような意味みたいです。
国連のカントリーオフィス(現地事務所)には
その国出身のスタッフと外国人スタッフがいて
その区別をするときに使うことが多いようです。
通常はNationalとInternationalで済むはずですが
この言葉を好んで使う人がいます。
(ミャンマーだけかな?)
外国人がこの言葉を使うとき
ちょっと気取ったようなニュアンスをわたしは感じてしまいます。
思い込みかもしれません。

でも、難解な言葉は、知らない人にとっては脅威です。
何気なく使っているとはいえ
使っている人の価値観がうかがえます。

さて、そんなExpatriateの一人から
信じられない発言を耳にしました。
ある打ち合わせでのことでした。

プロジェクトの対象地域でアンケート調査をやるため
調査票のたたき台を検討していたとき
「ミャンマーの農村の住民はIQが低いから
 アンケートを答えるのに時間がかかるんだよ。」
といった人がいました。

へ?わたしは自分の耳を疑いました。

冗談かと思いましたが
真剣にそう信じているようでした。
まじめな顔をして
「別に住民が悪いわけじゃなくて
 教育を受けていないから仕方がないんだよ。」
みたいなことを言っている。

こういう発言を聞くと本当に悲しくなります。
それに、あー、この人の下で働いていなくてよかった
と心の底から思いました。

日本人の援助関係者の中にもとんでもない人がたまにいます。
人種差別を平気でするのです。
こういう人たちを見ると
住民の行動変容がどうの、とかいう以前の根本問題として
まずは援助関係者自身の態度を変えるのが先決だとつくづく感じます。

*

  1. 2005/06/02(木) 21:00:20|
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緬甸バースデー

2005.06.03 Fri

きょうは同僚の誕生日でした。
ミャンマーではバースデーボーイ(ガール)が
仲間たちを食事などに招待することになっています。
ですから、きょうはラッキーにもタダメシをいただきました。

ビリヤニというインド風ドライカレーを注文して
事務所でみんなで一緒に食べました。
豪華なことにデザートにアイスクリームも。
それに、彼の奥さんが事務所までやって来て
食事を振舞ったりしていました。

写真は残り物のアイスクリームを食べているところです。
左の彼がバースデーボーイです。
ATO eating icecream
こちらは女性陣3人からもらったプレゼント。
ロンヂー(巻きスカート)と香水のようです。
ATO presents

わたしも6月に誕生日を迎えます。
1日ちがいで誕生日がくる同僚がもう一人います。
彼と話していて
去年は2人でインド料理へみんなを招待したことを思い出しました。
わたしがミャンマーへ来て4ヶ月足らずのときでした。

ことしはどうしようか?
またインド料理かな?
でも、ん、待てよ。
去年は何もプレゼントをもらわなかったよお。

女性陣は、
「は、は、は」
と笑ってごまかしてました。

*

  1. 2005/06/03(金) 20:28:49|
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ニジェール続報

2005.06.04 Sat

UN gets no response to appeal for aid
as famine stalks drought-stricken Niger

(干ばつに襲われたニジェールに飢饉が忍び寄るが
 国連の援助要請への反応はない)

先週たまたま目に付いた記事がありました。
西アフリカの内陸国ニジェールで
バッタの襲撃に続く干ばつの被害によって
国民の3分の1(360万人)が食糧不足に陥っていると知りました。

国連は1600万ドル(約17億円)の援助を
国際社会に対して要請しましたが
6月2日のニュースによると
まだ一銭も集まっていないようです。

“To date, not a single dollar has been pledged to the Flash Appeal”
(緊急要請に対して今日まで1ドルの援助公約も得られていない)

Flash Appealと大文字になっているので
ちょっと気になって調べてみました。
やはり特別な意味のある言葉のようです。

世界で発生する大規模で複雑な人道的危機に
国連と関係諸機関が協力して対応するために
国連統一アピール(The Consolidated Appeals Process=CAP)
という制度を1991年に始めたそうです。

要は緊急事態にバラバラに対応するのではなく
調査、戦略構築、計画、資金要請、援助の実施、評価まで
各機関が一緒に協調してやりましょうというのが目的のようです。
Flash Appealとは緊急に対応の必要な短期の資金要請です。

わたしは6年ほど前に仕事で訪れたことがあったので
たまたま目にとまりましたが
やはり知名度の低い西アフリカの内陸国では
国際社会の関心度も低いということでしょうか。
先週のブログ記事へ

BBCのニュースによると
首都ニアメでは2000人のデモ行進があったそうです。
「昨年の雨は十分ではなかったので
 食糧の備蓄が次の収穫まで維持できないことは
 わかっていたはずだ」
デモに参加した人たちが言っています。

ニジェール政府は
住民が出した食糧配布の要求を
「バカバカしい(foolish)」
と一蹴したそうです。

"Niger's emergency food stocks had been built up carefully
and would need to be replaced if they were given out."

(国家の緊急のための食糧備蓄は
 注意深く準備されているので
 いま備蓄を崩して食糧を配布すると
 元に戻さなくてはならない)

と政府の報道官は言っています。
でも、よくわからない論理です。
緊急事態に出すのが備蓄の目的でしょう。
いまは十分に緊急事態です。
それに、出したら元に戻すのも当たり前です。

予算もなくほとんど機能していない役所で
本当に「注意深く」計画が行われているのか
かなり疑わしいです。

もともとは天災が引き金となった飢饉ですが
対応を誤ると、それはもう人災です。
ニジェールではそうならないことを祈ります。

*

  1. 2005/06/04(土) 23:24:45|
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庶民へのまなざし

2005.06.05 Sun

庶民の発見 今週の本

宮本常一著
『庶民の発見』
講談社学術文庫

著者は民俗学者の宮本常一氏。
民俗学者といってもただの学者ではありません。
宮本氏は、日本の村という村、島という島を歩きつづけた人です。
歩いた距離は地球4周分に相当する16万キロ。
泊まった民家は千軒を超えたそうです。

宮本氏の「あるく、みる、きく」という
ひたむきでありながら力強く一貫した生き方は
没後24年がたったいまでも多くの人を惹きつけます。
そういうわたしも宮本氏の生き方には多くを学びます。

本書は、日本の長い歴史の中で
貧しさにあえぎながらも
困難を乗り越えてきた庶民の力強い生き方を
様々な角度から描いています。

『庶民の発見』は宮本氏が1955-60年に書いた文章が収録され
7章から構成されています。
一 庶民のねがい
二 貧しき人々
三 変わりゆく村
四 山村に生きる
五 村里の教育
六 民話と伝承者
七 底辺の神々

宮本氏の著書を読むと
そこに描かれている百姓の姿が
わたしが仕事で関わるミャンマーの農村とよく似ていて驚くことがあります。
似ていることから多くの経験や教訓を学ぶこともできますが
それ以上に、農村の開発に関わる者として
肝に銘じたい言葉にもよくぶつかります。

「百姓は農業に生涯をかけている。
 だからまた農業に生涯をかけるような人の言葉でないと、
 本当に耳をかたむけない。」(p.22)

また、宮本氏は自身が百姓であったことから
つねに庶民のひとりであり、
庶民の目線から世界を見つめ、
急速に変わりつつあった日本を見守りつづけた人です。
本書には、その庶民へのまなざしを感じる箇所がたくさんありました。

「農民を頑迷といい封建的というならば、
 自らの理想とするところを農村という場において
 実践するだけの熱情と勇気と責任と持続性を持ってもらいたい
 (中略)
 政治的な改革だけで村が新しく生まれかわるだろうか」(p.21)

「わたしの接した多くの農民は、決して保守的ではなかった。
 (中略)
 しかし前進できないいろいろの枠が自分たちをしばっている。
 しかも生きてゆくためには、それはやむをえないものであった。
 そういう苦悩を静かにきき、
 また、ともに考えてくれる人に接する機会をもたないままに、
 農民の世はうつりかわろうとしている」(p.261)

「もののわかる人というのは自らが人に話す前に、
 まず静かに見、静かにきく人であった。
 天保年間の近江の百姓一揆のリーダーだった庄屋が
 子供に書きのこしたものをみると、
 第一に庄屋だからとて、出しゃばってはいけない。
 第二に人々の言い分をよくきくことだ。
 そしてみんなの言い分をもとにして事をおこなえとある」(p.111)

さいごに、開発の分野で働く人には興味深いデータを紹介してお別れです。

村という共同体を維持するために
「もっとも重要な役割」を果たしたのが「話し合い」だったそうです。
「話し合いは対立しあうことではなく、
 どこで意見の一致点を見いだすかが問題であった」(p.129)
講組などが発達した村での寄り合いの数は多く
1軒の家の者が会合に出て行く回数は、酒盛りも含めて
1年に60-70回を超え
時間にすると300〜400時間にも達するそうです。

寛政年間(1789-1801年)の1日の労働量(男):
田荒起こし 6畝(1畝=約1アール)
苗代こしらえ 1反(=10畝=約10アール)
田植え 2畝
田の草取り 6畝
稲刈り 40束
などなど。

*

  1. 2005/06/05(日) 23:24:58|
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