秘境の地プータオ

2005.05.02 Mon

putao_yangon 6日からミャンマーのほぼ北端に位置する
プータオへ出張する予定です。
ヤンゴンからプータオの距離は
わたしが勝手に測定したところでは
1300キロはあります。
これは名古屋から沖縄の距離と同じぐらいです。
ずっと陸続きですから、
考えてみると、ミャンマーって大きい国です。
国土は日本の1.8倍あります。

でもミャンマー国内の移動って
本当にたいへんです。
ヤンゴンからバンコクへ行くより、
国内のほうがよっぽどたいへんということはよくあります。

ミャンマーにはいくつか航空会社がありますが、
民間は観光客の多いところへしか飛ばず、
わたしが出張で行くような「辺境の地」へは
国営「ミャンマー航空」しか飛んでいません。

しかもこのミャンマー航空、
保有している旅客機の数が3台といわれています。
これをフル稼働して
全国の主要都市に飛行機を飛ばしているものですから、
機体はもうヤバイくらい疲弊、老朽化しているといわれています。
1台の機体でふつう1日に2ルートは飛びますので、
メンテの時間もあまりとれないみたいです。
わたしは乗るたびにいつもビクビクしています。

そんなわけで辺境プータオへは当然
ミャンマー航空しか飛んでいません。
しかもタイミングの悪いことに
この航空会社
機体のチェックおよび補修を行うと発表したのです。
これでダイヤは完全にメチャクチャになります。
主要な路線は民間会社で補うことができますが、
辺境都市は民間会社は飛びたがりません。
ですから、このメンテによって
9日以降のプータオへの飛行機が
飛ぶかどうかわからないというのです。
なんともミャンマーらしい。

そんな悠長なことはいってられません。
ということは、
わたしが6日にプータオ入りすると
9日に帰ってこなければ
次はいつ飛行機が飛ぶかわからない
ということです。
プータオからいちばん近い大きな都市では
ミッチーナがあります。
ここまでは民間の飛行機も飛んでいますので
ミッチーナまで戻ってくればいいんじゃいの?

たしかにそうです。
でも
プータオからミッチーナは
距離では300kmもないですが、
移動に1週間!かかるそうです。
しかも陸路はほとんど整備されておらず
途中のふか〜い谷には
第二次世界大戦でイギリス軍が架けた橋がまだ使われているほどです。

陸路がだめなら水路で。
たしかに。
川を下ってミッチーナへ行くのが最善のようです。
でも
川を下ったとしても3、4日はかかるでしょう。
それに、
この川は流れが速く、岩が多いので危険だといわれました。
じゃ、どうすんの?

このプータオやミッチーナがあるカチン州というところは
まだ野生の象やトラがいる地域で
まさに「秘境」です。
こんなところに出張できるのは嬉しいのですが、
帰ってこれないかもというのは困ったものです。

  1. 2005/05/02(月) 20:38:46|
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秘境プータオへ――帰りは?

2005.05.06 Fri

きょうから出張です。
12時半の飛行機でカチン州プータオへ行きます。
プータオはミャンマーのほぼ北端に位置する街です。
マンダレー、ミッチーナと経由していきます。
3時間ぐらいはかかります。

数日前にお話した
ミャンマー航空の話は本当でした。
機体のメンテナンスのため
やはり9日以降のヤンゴン-プータオ便は当分の間ストップします。

でもふしぎなのは、
9日以降でも予約を受け付けるということです。
わたしの帰りの便は13日で予約が入っています。
飛行機は飛ばないとわかっているのにです。
まあ、予約なんてあってないようなもの、ということですね。
さすがミャンマー航空!

うちの現場事務所と連絡を取ったところ、
地元のお役人さんたちは、
「UNDPさんのためですから、チャーター便を出しますよ〜。」
なーんて、言ってくれている、らしい。
彼らのニコニコした顔が目に浮かびます。

たしかに今までにも
ミャンマー航空の定期便が飛ぶ前はチャーター便が飛んでいました。
でも地元のお役人もよく安請け合いをするものですね。
チャーター便とはいっても、
機体がなければ飛べるはずもない!
機体の手配はいったいどうするつもりなの?

ということで、
帰りは運がよければ13日ですが、
こりゃだめだ、ということになれば仕事を切り上げても
最後の定期便が飛ぶ9日にしたほうがよさそうです。
この定期便を逃して、そのあと飛行機が飛ばなくなると
プータオは「陸の孤島」と化します。
すると、つぎにいつ戻って来れるかわからなくなります。

同僚からは、
「雨期の間ずっとプータオで足止めじゃないの〜」
なんてからかわれています。
プータオでは雨期がそろそろ始まり、9月ぐらいまで続きます。
雨期になると道路はまったく使えず、
川の流れは速くなりボートで行くのはさらに危険になります。

プータオは電話ですら何台かしかない街なので
当然ネット接続などあるはずもなく、
このブログも更新できません。
出張から戻ってきたらまた報告をします。
こうご期待!

  1. 2005/05/06(金) 08:28:48|
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預け入れ荷物がなくなった!

2005.05.11 Wed

日本だったら、航空会社が丁寧に謝罪して、
荷物が届いたらすぐに荷物を自宅まで届けてくれますよね。
ところが、ミャンマーではそうはいかないんです。

出張先のプータオから帰ってきた5月9日のこと。
経由地のミッチーナで乗客を入れ替え、
何事もなく無事にヤンゴンに到着しました。
プータオで3時間待たされ、
飛行時間が3時間。
やれ、やれ。

ターミナルに入って荷物を待っていました。
まずVIP向けの荷物がわんさかと運ばれてきました。
出発地のカチン州はグレープフルーツが有名なところです。
来るわ、来るわ、VIP向けのお土産が。
そのあとやっと庶民の荷物です。
でも、待てども、待てども、わたしの荷物は来ず。
あー、こりゃあ、来ないみたいだなあ。
ミッチーナで忘れられたようです。

しかし、驚いたのはそのあとのミャンマー航空の対応。
なんと、ミッチーナで置き忘れた荷物をちゃんと把握していたのです。
荷物のタグ番号がノートに控えてありました。
へぇ、やるねぇ!
当たり前のことなのに、妙に感心してしまいました。
でも、
「荷物は次のミッチーナ便がある2日後に取りに来てください。」
とそっけない。
まあ、やっぱり、そうだよね。
自宅まで送ってくれるわけないよね。

その2日後。
今晩はちょっと早めに仕事を切り上げて
空港へ向かいました。

国内線のターミナル入口すぐのところに荷物の受渡し所があります。
その部屋に入ると、見覚えのあるバッグがありました。
よかったぁ〜。
思わず、胸をなでおろしました。

しかし、ここでもびっくりしました。
わたしの荷物はスポーツバッグで
鍵などついていません。
盗まれたりしないかなあ、
とちょっと心配だったのです。
でも、バッグを開けられないように
ちゃんとヒモで固く縛ってくれていました。

こういうところがミャンマー人の真面目さを表していますね。
今回のトラブルでは
ミャンマー人の一面を改めて垣間見せてくれました。

  1. 2005/05/11(水) 22:06:02|
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プータオの村で聞いた話

2005.05.12 Thu

カチン州プータオから北へ約30キロ。
40年以上前に製造されたジープに乗り
のどかだけど、すさまじいデコボコの田舎道を行くと、
車が行ける道路の終点に
その村はありました。

村の名は
Upper San Gaung
(アッパー・サン・ガウン)
英語の単語がついてるところを見ると、
植民地時代にイギリス人がつけた名かもしれません。
ここから約25キロ先まではトレッキングコースになっていて、
外国人の観光客がたまにやってきます。
トレッキングとはいっても
村人がいつも歩いている生活道です。

この村の東には細いですが
きれいに澄んだ水が流れる小川がありました。
村には水車があり、
小川の水でガタゴトと回ります。
風の音、小鳥の声。
子どもたちが元気よく遊ぶ声以外には
何も聞こえません。
そんな中、けたたましい音をたてて、
わたしたちは村に着きました。
恐れ入りながら、村人たちに笑顔を向けると
村人たちからも笑顔を向けられます。

ある家にお邪魔しました。
House
ここには4人の子供とお母さんが暮らしています。
お母さんはまだ30歳ぐらいでしょうか。
子どもは、上の子が10代前半、
いちばん下の子は2、3歳だと思います。
Boy
お父さんはどうしたのか?
お母さんが話してくれました。

カチン州には金やヒスイの鉱山があります。
こうした貧しい村の男たちは
出稼ぎのためにそうした鉱山ではたらきます。
そして、なかには村に戻ってこなくなる人が多くいます。
鉱山のある村で別の女性と結婚して
家庭を持ってしまうのです。

とくに、プータオのように交通の便が悪いところでは、
戻ってくる男は少なくなる傾向にあるようです。
はっきりとした理由はわかりませんが
たぶん、戻ってくるのが面倒になるのかもしれません。

とにかく、ここは交通の便が恐ろしく悪いところです。
戻ってくるのに、それこそ1ヶ月はかかるでしょう。
距離からすれば数百キロですが、
車を乗り継ぎ、
途中からは何十キロ、
ときには何百キロと歩かなければいけません。
それこそせっかく貯めたお金が飛んでいきます。

男が戻ってこないため
この村には母子家庭がさらに増えています。
別の村では、母子家庭が9割というところも。
ちょっと信じられませんね。
ただでさえ、貧しい人たちです。
いちばんの働き手である男がいないということは
本当に大きな打撃です。

話を聞いた女性は、
トレッキング目的でやってくる外国人の荷物を運んだり、
焼畑を細々と営んだり、
小さな田んぼで米をつくったりしています。
4人の子どもを学校へ行かせないといけないですし
生活はとても苦しいでしょう。
家の造りは粗末なもので、
部屋は一つだけ。
中には囲炉裏がある以外は、
家具もありません。

特にこういう女性たちを
わたしたちのプロジェクトでは支援しています。
いちばん必要とされるのは、
困ったときにお互いに助け合い、
必要なお金を工面できるような仕組みです。
詳細はこちら→SRG

またホームページのほうで
写真ギャラリーを更新しました。
ぜひご覧ください。

  1. 2005/05/12(木) 19:16:31|
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プータオの村で聞いた話2

2005.05.13 Fri

きのう書いたアッパーサンガウン村の話の続きです。

別の女性にも話を聞きました。
Lady
彼女の家庭もうまくいっていないようで、
旦那さんは村にいるらしいのですが、
いまは別居中だそうです。
初対面でしたので理由までは聞きませんでした。

話してくれたのは弟のことでした。
4年ほど前のある日、
首都ヤンゴンから撮影隊がやってきました。
映画か、カラオケの映像か、コマーシャルか、
よくわかりませんが
有名な俳優たちが撮影スタッフと村に来たそうです。

そのとき弟は14歳。
彼女によると、弟は色が白くて(ミャンマー基準でしょう)
ハンサムだったそうです(世界基準かな?)。
撮影が終わると
その弟はある女優についてヤンゴンへ行ってしまい、
そのあとは4年間、何の連絡もないそうです。

「この弟と連絡をとりたい!」
と頼まれました。
まあ、女優の名前はわかっているし
保証はできないけど、探してみるとは約束しました。
さて、本当に見つかるのやら?

プータオに限らず辺境地に住んでいる人にとって
ヤンゴンは遠い、とおーい街です。
なにしろ州都があるミッチーナへも行ったことがない人がほとんどです。
村の人の行動半径は驚くほど限られています。
メインの交通手段は徒歩、よくて自転車ですから、
行動半径が狭いのはあたりまえです。
昔の日本もそうだったでしょう。
東京から大阪まで平気で(?)歩いていました。
ただ、日本の場合は明治とか大正の話ですが。
そんな生活がまだミャンマーの田舎では営まれています。
考えれば考えるほど、このギャップは理解に苦しみます。

話がそれました。
彼女に頼まれたように弟を見つけて
いつかこの話の続編を書けたらと思います。

  1. 2005/05/13(金) 20:02:33|
  2. カチン州|
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