南チン州へ

2005.07.19 Tue

きょうからブログ再開です!

昨晩、出張先の南チン州から戻ってきました。
行ってみてわかったのですが
南チン州というのは
まだまだ古い伝統や慣習が残っていて
他とはまったく違った雰囲気がありました。
そうした伝統が残っている背景には
地域へのアクセスが限られているのが大きな理由のようです。

これから何日間かに分けて現場の報告をします!
まずきょうは南チン州へのアクセスの話を。

南チン州には3つのタウンシップがあります。
カンペラッ、ミンダッ、そしてマドゥピです。
このうち、マドゥピはさらに奥地にあり
外部からはカンペラッかミンダッが入口となります。
カンペラッはビクトリア山(約3000m)の登山口として有名で
外国人旅行者も訪れることができるようです。
(チン州の概要は→こちら

南チン州へ入るには、まず首都ヤンゴンから
ミャンマーのほぼ中央にあるニャウーへ
プロペラ機で1時間すこし飛びます。
ミャンマー地図
そしてニャウーからは車で5、6時間ほど走ります。
地図の水色が行きに、緑色が帰りに通った道です。
南チン州アクセス図

行きは、まずニャウーから南へ走り
チャウッという街へ向かいます。
ここは石油で有名で、採掘も製油も行っています。
採掘は木で組んだやぐらに
振り子のようなものを取り付けて汲み上げているようです。
古い映画で見るような技術でした。
できた石油はエーヤワディ(イラワジ)川で
ヤンゴンなどへ運ばれます。

チャウッにはエーヤワディ川に架かる立派な橋があり
これを通って対岸へ渡ります。
橋からのながめ
対岸にはセイッピュー(「白いヤギ」という意味)
というさびれた街があります。

ここからさらに先へ少し行くと
舗装された道路は終わり
いよいよ辺境地域へと入っていきます。
車の両側に見られる景色も閑散とし
行きかう車はほとんど見られなくなります。
次の街までの道中、3、4時間で見かけたのは
軍隊のトラック1台、道路工事のトラック1台
オートバイが2、3台だけでした。

このような荒涼とした土地を通り過ぎチン州に近づくと
川の水を利用した棚田が広がる田園地帯に入ります。
田園風景

長いドライブのあとにたどり着いたソーという街は
わたしがいままでに訪れた中で
もっとも美しい街といってもいいと思います。
宿泊するホテルなどないでしょうし
なかなか訪れることができないかもしれませんが
ほんと、おすすめです。
街は小さく、コンパクトにまとまっています。
木々は多く、木陰に入ると涼しくてホッとします。
ソーの街
街の中央を流れる川では子どもたちが遊び
水浴びや洗濯をしている女性たちを見かけます。
川で遊ぶ子どもたち
また立派な僧院がこの街の富を象徴しています。
きっと豊かな収穫に恵まれた街なのでしょう。

この恵みをもたらす川は、
まさにわたしが行こうとしている
南チン州の山々から水を集め、流れてきています。
このソーからカンペラッまではもうすぐ。
あと20キロほどです。

この続きはまたあした。

  1. 2005/07/19(火) 23:25:20|
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カンペラッの街

2005.07.20 Wed

きのうの続きです。

カンペラッに着いたのは夕方5時すぎでした。
プロジェクトのオフィスの前は
サッカーグラウンドになっていて
わたしが到着したときにはちょうど
たくさんの子どもや青年たちが遊んでいました。

事務所は、喫茶店だった建物を借りています。
とんがり屋根のすぐ下の窓には
Tea and Coffeeと書かれています。
カンペラッ事務所

カンペラッというタウンシップはとても小さく
人口はわずか1万5千ほどです。
ですから、その中心都市カンペラッもとても小さな街です。
戸数はぜんぶでわずか500ほど。
人口はせいぜい3000人ぐらいでしょう。
他の州だったら、大きな村ぐらいのサイズです。
ほんの数時間で行ける近郊の大きな街への定期交通便はなく
ときたま物を運ぶトラックが人も運んでいきます。
ちなみに、街にある車はトラック1台だけです。

でも、ここはとてものどかで緑が多く
街中の道路は小道といっていいほど細く
家の前には生垣があって、ほんとにいい感じの街です。
これまた、わたしのお気に入りになりました。

この街に初めて来たミャンマー人スタッフとは
あー、いい街だね〜。
こんなところに住みたいよね〜。
なんて話していました。
あとで聞いた話では
オレンジの果樹園付きのいい家が売りに出されていて
なんと値段はわずか10万円ぐらいだったようです。
そうそう、オフィスとして借りている家の家賃は
これまた安くて、月2000円!です。

オフィスの前では夕方になると、
街の若者たちが集まってサッカーをしています。
靴を履いている人もいますが、裸足の人もいます。
そのわきで小さい子どもたちは、めいめいに遊んでいます。
わけもわからず走り回って、はしゃいでいる子もいえれば
女の子たちは日本のゴム跳びによく似た遊びをしています。
服はボロで、鼻水をたらしたりしていますが、みんな元気です。
カンペラッの子ども

カンペラッの街はあまりにも小さいので
レストランも宿泊するところもありません。
ですから、寝泊りはプロジェクトオフィスです。
食事も近くの人に頼んでつくってもらいます。
でも、喫茶店だけはしっかりと3軒あります。
ミャンマーの人たちは朝食や暇なときに
かならずお茶を飲む習慣がありますので
喫茶店はどこでも需要があるようです。

また、この街には市場もありません。
ただ、生鮮食料品店が何軒か集まっているところがあるので
村の人たちは朝早く村を出て
その日にとれた野菜や果物などを売りに来ます。
いまの時期はバナナやパイナップルが
多く出回っているようでした。
店先

それから、朝の散歩の途中で面白いものを見つけました。
家の壁にかかっているのは何だと思いますか?
カンペラッの家

これはマイトン(mython)とよばれる動物の頭の骨です。
マイトンはチン州の山間部にだけ見られ
いっけん水牛のようですが
とてもすばしっこくて、急な斜面も自在に上り下りします。
マイトン
肉の味がよいのが評判です。
でも、なぜそんな動物の骨を家の壁に飾っているのか?
わたしの知っている限り
こんな光景を見るのはチン州でも南部だけです。
そんな話も含めて、チン州南部の文化については
またあした書くことにします。
お楽しみに。
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  1. 2005/07/20(水) 23:38:40|
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チン州南部の文化

2005.07.21 Thu

きのうは、カンペラッの街で見た
家の壁にかかった動物の骨は何のためか?
という話で終わりました。

じつは、これは自慢のためだったんです。
いまではチン州の北部ではあまり見られませんが
南部では昔ながらの風習が色濃く残っています。
北部は改宗が進んで敬虔なキリスト教徒が多いですが
南部ではいまでも自然崇拝が盛んに行われています。

おそらくその自然崇拝のためでしょう
南部では動物のイケニエが天にささげられます。
対象の多くは、きのう紹介したマイトンです。
イケニエをささげたあとは
その肉を村の人たちにふるまいます。
これが富の象徴とされるのです。
より多くのマイトンをふるまえる人が
村の有力者ということになります。

富の象徴はマイトンだけではありません。
奥さんの数もそうなのです。
チン州南部では一夫多妻制を多く見かけます。
わたしが会った村人の中にも
奥さんが二人いるという人がいました。

そのほか面白いのは
女性の顔にほどこされたイレズミです。

部族によって違うようですが
線だけのイレズミもあれば
顔中イレズミだらけという女性もいます。
イレズミが緑色なので顔色も濃い緑となり
何ともブキミな様相です。
まるでマスク。

でも、男性の顔にはイレズミが見られません。
なぜでしょう?

昔々、ビルマ族の王様がチンへと攻めてきて
きれいな若い女性をさらっていったそうです。
チン州南部はビルマ王国との境だったのです。
そこで、女性の顔にイレズミを彫れば
連れて行かれずに済むと考えてのでしょう。
これが、イレズミの風習の由来とされています。

また、ほかにも面白いものがあります。
ストーンテーブルです。
こんな代物はビルマではもちろん、
チン州北部でもお目にかかれません。
大きさは数十センチから1メートル以上と
大小さまざまのものが村にはあります。
一見すると、イギリスのストーンヘンジのようです。
ストーンテーブル

これは骨壷を納めるためのものだそうです。
ご先祖様をまつる神聖なものなので
気をつけて扱わないといけないと聞いていました。
へたに腰掛けたりすると首を切られるとも(冗談ですが)。
でも、よく見ると、テーブルの下には
ゴミのようなものが置いてあったりします。
けっこういい加減だなあ。
それにテーブルの上で
ミレット(ひえ)を日干しにしていたりして
へ?ぜんぜん大切にしてないやん。
なんて思ったりもしました。

そのほかにも
たぶんイケニエのために使われると思われる
Y字型をした板もありました。
面白い板
ちょっとした彫刻が施してあって
高さは1-1.5メートルほどでした。

チン州の南部は
距離的にはビルマ文化圏に近いのですが
交通の便が悪いためか
とくにビルマ文化との接触が少なかったのでしょう。
また、キリスト教宣教師の数も
北部に比べて少なかったのだと思います。
そんな理由から、古い風習が残っているのかもしれません。
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  1. 2005/07/21(木) 23:50:30|
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南チン州の母子家庭

2005.07.22 Fri

今回の出張で現場にいたのは実質3日間でした。
期間が短かったこともあって、
このあいだに訪問させてもらった村は3つだけでした。

それら3つの村で、合計6家族にお話をうかがいました。
各家では1時間ずつぐらい時間をもらいました。
きょうはその中の一つの家族を紹介します。

いたずらに窮状を誇張するわけではありませんが
きょう紹介する家族はミャンマーの中でも
もっとも貧しい部類に入る家族です。

貧しい村の中でも貧富の差があります。
そして、貧しい村の中でも
もっとも貧しい世帯の多くは母子家庭です。
たいていは働き手である夫が死去したケースです。

この写真はミンダッのある村の母子家庭です。

ここは家の中です。
高床式で、広さは10畳ぐらいの一間です。
床も壁も竹でできていてすき間だらけ。
左奥には囲炉裏が見えます。
食器はわずか数えるほど。
右上に写っているのは蚊帳ですが、古くなって穴だらけです。
このほか、ひもに服が何着かかけてあるほかは
これといった生活用品、家財道具は見当たりません。

女性は40歳。3人の子どもをかかえるお母さんです。
いちばん上の女の子が10歳で小学校3年生、
下には5歳と3歳の男の子がいます。
詳しい話はあえて聞きませんでしたが
旦那さんは何年か前に亡くなったそうです。
夫が存命のときには借金をつくってしまい
いまではその額が
20万チャット(約2万円)にまでふくらんでいます。

この家族は、他の村人たちが持っているような
山の斜面に拓かれた焼畑を所有していません。
お母さんが近所の人の農地などで働いて得た日当で暮らしています。
しかも、3歳の子どもの面倒をみないといけないので
働きに出るものなかなか容易ではなく
週に2、3日が限度だそうです。

1日働いて得られるのはわずか400チャット(40円弱)。
1週間の収入はせいぜい100円です。
これで家族4人が食べています。
1日に食べるご飯の量は約2キロ。
米は歩いて3時間ほど離れたミンダッの街で買います。
約2キロで350チャットです。
日当が400チャットですから
とうぜん毎日2キロ食べられるわけではなく
1日1食という日は珍しくありません。
また、肉などはもちろんなく
せいぜい家の周りに自生している葉などを食べます。
そのほかは塩だけです。

栄養状態がよくないので
肉体労働で体力を消耗すると
病気になりがちです。
でも、病気になっても薬を買うことはできず
よくなるまで横になって休むしかありません。
村には病院はおろか、薬局もありません。

家の周囲の土地が未利用なので
そこで野菜などを栽培できるのでしょうが
いまはトウモロコシが5、6株、生えられているだけです。
このあたりでは家畜を放し飼いにするので
家庭菜園などをしても柵がなければ家畜に食べられてしまいます。
ほかにメシの種というと
ニワトリを2羽飼っているだけです。

わたしが
「いまいちばん困っていることは何ですか?」
ときくと
しばらく考えたあと
恥ずかしそうに、食べるものがないことを話してくれました。
照れ隠しのためでしょうか
顔には笑みがみえますが、心は沈んでいたでしょう。
目に涙をためているのがみえました。
直接、言葉を理解することはできませんが
彼女の苦しみがひしひしと肌に伝わってきます。
想像を絶するような生活なのでしょう。
村には友だちも家族もおらず
精神的にもそうとう弱っているようでした。

わたしたちができることは限られてはいますが
プロジェクトとして支援できることをお話しました。
食べ物や薬などを無料配布するようなことはしていません。
代りに、自立できるようになるための支援を行っています。
貧しい世帯の女性たちがグループを組織して
お互いに助け合うような仕組みを支援していることを伝えました。

「将来の夢は何ですか?」
と質問しました。
答えは「夢などない」でした。
希望とよべるようなものが見つからない中で
何とか心の支えになるようなものを見つけてほしいと思いました。
「子どもたちにはどうなってほしいですか?」
と尋ねると、しばらく考えて
「政府の役人になってほしい」
と語ってくれました。

さいごに、家族の写真を撮りました。
記念ということもありましたが
写真を印刷してスタッフに届けてもらおうと考えていました。
少しでも彼女の心の支えになればいいのですが。

近々またおじゃましてお話を聞かせてもらうつもりです。
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  1. 2005/07/22(金) 23:35:26|
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チン州の伝統農業

2005.07.25 Mon

チン州の伝統的な主食はおもにトウモロコシかアワ・ヒエです。
最近では多くの人が米を食べますが
チン州での収穫は少なく平地から購入することになります。
でも、味がよいので一般には米が好まれます。


これはアワかヒエを日干しにしているところです。
アワかヒエかの見分けがわたしにはつきません。
英語ではミレット(millet)とよばれます。

チン州ではイエローミレットとレッドミレットが栽培されます。
写真はイエローミレットで主に食用です。
レッドミレットは食用にもなりますが
チン州で広く飲まれるにごり酒の材料となります。
わたしもご相伴に預かりました。
色はにごった白で
味は薄く、少し酸っぱかったです。
アルコール度も低いようです。

チンの人々は大昔から焼畑によって生計を立ててきました。
村の規模にもよりますが
一般に、村から2〜5キロぐらいの範囲に
一つの村で5〜12の農地を所有しています。
村の中の約6割の人が、
こうした共同農地に土地の所有権を持っているそうです。
原則的には、はじめて原野を切り拓いた人が所有権を得ます。
所有権は父から子へと引き継がれていくのです。
正式な文書などありません。
チンにはもともと文字がなかったのです。

チンにおける農期は10月ごろに始まります。
まず、長老たちが集会を開き、次の耕作地をどこにするか決めます。
そして村人たちに知らせ、村人は自分の耕作地を選びます。
前年に耕作した人は耕作権を得ます。
あとの人たちは残った土地から耕地を選ぶことになります。

11〜12月には選定された山の斜面の木々を伐採します。
この時期は乾期なので、伐採後の土地はよく乾燥します。
3月に入り、土地が十分に乾燥したら火を入れます。
火は勢いよく燃え、
わずかな切り株を残すほかは真っ黒な斜面と化します。
この時期にはチン州の上空には黒い煙が立ち込めます。
村人たちは残った木々の切り株などを取り除き
出作り小屋や柵をつくります。
これで種まきの準備が整いました。

ところで、このように山の斜面に拓かれた耕作地を
ミャンマーの人たちは「タウンヤ」とよびます。
チン州だけではなく、カチン州やその他の地域でもそうです。
いまはアグロフォレストリーの用語となっていますが
19世紀半ば、英植民地時代に制定された「タウンヤ法」が
その語源とも聞いています。

さて、3〜4月は種まきのシーズンです。
その年ではじめての雨が降ったとき
村人たちはみな農地へ出て、一斉に種まきを始めます。
栽培される作物は4種類、穀物、豆類、根菜、野菜です。
穀物は陸稲、メイズ、ミレットが主です。
陸稲やメイズの種は、斜面に引っかいた溝にまき土をかぶせます。
ミレットは播種されます。

5月には本格的に雨期が始まります。
雨期は忙しく、少なくとも2、3回は草取りを行います。
ミレットやメイズは8月ごろには収穫できるので
このころはチンの人々がもっとも忙しくなる時期です。
陸稲の収穫が始まるのは10月末ごろからです。

耕作地は毎年かわります。
(ですので、Shifting Cultivationとよばれます)
毎年同じ土地で焼畑を行うと土壌が痩せて
収穫が極端に減ってしまうからです。
昔は耕作された土地は10〜12年は放置されていたのですが
最近では5年あるいはそれ以下の周期で耕作されています。
おもに人口増が原因です。


このような急な斜面で作物を栽培しています。
聞くところによると、斜度45度という斜面もあるそうです。
ほとんどお天気まかせなので、収量は低く、不安定です。
今年はとくに例年よりも雨が少なく不作が予想されています。
ただでさえ、ミャンマーでもっとも貧しい地域ですから
今年の後半から深刻な食料不足に陥るかもしれません。
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  1. 2005/07/25(月) 23:29:00|
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